2017/04/21(金)
おはようございます。中村店 K.Sです。
先日新聞で、名古屋駅と栄の百貨店売上がもう並ぶ寸前だという記事をみました。
2016年の名古屋駅エリアは、高島屋と名鉄百貨店本店で1,736億円。
対する栄地区は松坂屋名古屋店、三越栄店、丸栄で2,128億円。
まだ、392億円ほど栄エリアが上回っているものの、
名古屋駅にオープンした高島屋ゲートタワーモールの売上高は年間337億円が見込まれているので、
これが達成すれば、名古屋駅エリアの売上高は栄駅エリアは、肉薄する。
また、栄からは丸栄が撤退を表明したため、その減額分を計算すれば、完全に並ぶ。
識者は名古屋駅と栄にはそれぞれ長所があり、栄も名古屋駅同じように発展すると、
大阪駅と難波駅の関係、博多駅と天神駅の関係を例に出して、
名古屋でも大阪と福岡と同じように、
2つの駅が共存できるというが、それは簡単なことなのだろうか?
博多駅と天神駅の関係から見てみよう。
私は福岡県にルーツがあるため、この福岡の話題には強い。
まず、この2つのエリアは全くその形成が違う。
もともと福岡県には福岡などという地名はなかった。
1600年(慶長5年)関ヶ原合戦において、戦果をあげた
黒田長政は、徳川家康から、筑前国を与えられ入国しました。
そして現在の中央区に城を建てます。
完成した城は、黒田家ゆかりの地である備前国邑久郡福岡(岡山県瀬戸内市長船町)の
名前を取って福岡城と名付けられました。そこから福岡藩→福岡県となっていくのです。
しかし、博多という街は歴史が古く、759年の「続日本紀」にも「博多大津」という文字が出てきます。
そんな歴史ある地名なのですから、博多の港の人たちや商人たちは、
明日から「福岡」という地名に変えろと言われても受け入れられない。
そして元々の博多の町はそのままで、ほとんど何も無い所に城を建てた場所一帯を城下町・”福岡”とし、
那珂川・博多川(この那珂川と博多川との間にあるのが『中州』である)
から東側の地域を商人の町”博多”とした。
そして時は過ぎ・・
1868年4月から福岡と博多は「福岡市」としてスタートするようになった。
ここで、皆様にクイズです。
何で電車の駅は、福岡駅ではなく、博多駅なのでしょうか?
明治時代の市制施行時、明治22年(1889年)4月、
「博多市か?福岡市か?」の大論争が巻き起こります。
当初は「博多市」が優勢でした。
しかし議会での採決結果は、何と全くの賛否同数。
市議会は「福岡」と「博多」のどちらにするかで、もめにもめ、
最終的には議長(福岡部出身)裁決で「福岡市」に決定しました。
そう博多派は福岡派に敗れたというわけです。
その代わりに、福岡市がスタートした翌年に開業した、
九州鉄道の駅名を福岡ではなく、博多にすることで、
博多っ子の気持ちのバランスを考えて
決着したということが、いまだに残っているのです。
博多地区の方からすると、天神に遊びに行くときは、
福岡に遊びに行くという感覚があります。
逆に福岡地区にの方からすると、博多どんたくや、博多山笠は、
あくまで博多地区のお祭りという感覚です。
そんな2つの成り立ちの全く違う都市が、
あそこには負けれんと切磋琢磨して、今の発展があるのです。
そこまでのバックボーンが、栄にあるのかどうか。
そういう気持ちがないと、名駅との差は広がるばかりだと
思います。
最後に、今回のブログは長すぎました。
途中で初めに何を書いていたか、
忘れるくらいでした。 失礼致しました。