安江工務店

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語り継ぐ事

2013/12/25(水)

お久しぶりです。

名古屋市中村区でリフォーム工事店と言えば「安江工務店 中村店」

店長の佐脇です。

早いもので今年も残すところあと1週間となりました。

歳を取れば取る程1年が早くなっていきますね。

さて先日、話題の映画「永遠の0」を観て来ました。

泣ける映画、感動の大作、今年1番の邦画 と称賛の声があれば、

特攻隊を美化しすぎ、原作に程遠い、ジャニーズとJPOPの宣伝映画 などと

厳しいコメントも多い映画です。

良くも悪くも「話題性」は抜群です。

さて私の感想としては、正直泣きはしませんがとても良かったです。

簡単にあらすじを申しますと、司法試験に何度も落ちている今時のダメ青年が、

祖母の葬儀で、自分にはかつて特攻隊で命を落とした本当の祖父がいたという事実を知り、

ライターの姉と共にその「実の祖父」がどういう人物であったのかを調べる事となり、

当時の関係者に話を聞いて廻るうちに、衝撃の事実を知る事になる。

といったところです。(このフレーズで観たいと思って頂けたのなら幸いです)

実の祖父宮部久蔵役をV6の「岡田准一」、育ての祖父(現代版)は今は亡き名優「夏八木勲」

夏八木さんの遺作というだけでも観る価値有りでした。

くどくどお話しするより観て頂いた方が良いと思いますので、ここまでにしておきますが

私がこの映画を観て思った事は「語り継ぐ」事の大切さ!

先の夏八木勲さんが映画の中でこう語っていました。

「あの時代を生きた全ての人に語り継ぐべきドラマがあった」

生きていればどんなに日本の役にたったであろう立派な若者が

何万人も無念の死を遂げた事。たった68年前の話です。

私の家族にもそんなドラマが有りました。

私の祖父は34年前に亡くなりなりましたが、身長は175㎝で柔道と剣道の有段者

日本刀と槍も所持していて、明治生まれの武士の様な男でした。

孫の私には優しかったですが、怒ると怖くて父は祖父に一切口ごたえしませんでした。

そんな祖父がわたしにいつも言っていたのが「私は死にそびれた男だ」という言葉。

若いころに心臓を患い、視力も悪かった為、体は人一倍強靭なのに徴兵検査に落第。

ついに戦地へ行く事はありませんでした。自分より体力も気力も劣っている同級生が

次から次へと出兵し戦死していく中、とてつもない敗北感と罪悪感を持って毎日悶々と

生きていた様です。その当時はお国の為に死ぬ事が「若者の全て」だったと言ってました。

当時私の父も11歳、今の父からは想像もつきませんが、昭和天皇の玉音放送を聞いた際は

一日中泣き通しだった様です。

以前父がポソっと漏らした言葉に衝撃を受けた事があります。

当時の体育の授業は藁人形に竹やりを突き刺すのがお決まりで

父は日夜竹やりを鋭利に削り、米軍のパラシュートが落ちてくるとわかるや

仲間達とその場所まで走り、捕虜の米兵へ向かってまっしぐら!

制止する大人達がいなかったら、父は立派な「殺人者」になっていました。

家族だけではありません。

私の近所に犬好きのご老人が見えて、いつも私が飼っている柴犬を

とても可愛がってくれました。犬は人間の心を一発で見抜きます。

私の愛犬も悲しいかな私よりもそのご老人のほうになついてました。

そのご老人が銃の達人で戦争中何百人もの人を殺めた事を後で知り

愕然としたものです。

そんな時代の事を、私達の世代でもまだまだ知らない事のほうが多いです。

今私の店には3人の新人社員がいます。

当時の事はおろか、現代の事すら全く知りません。

なにせ新聞すら読まないのですから。

この子達が親にになったら一体どういう世の中になるんだろうか?

考えるだけでゾッとします。

私が毎朝犬の散歩で立ち寄る「津島神社」には津島市の戦没者を祀る

「照魂社」があります。

祀られている戦没者の数は1171名

津島市だけでこんなに多くの人達が戦争で命を落としたんです。

この映画の批評でも多くの方が言っていました。

「特攻を美化するな」

わたしもそう思います。

祖父の「死にそびれた男」発言や父の「殺人未遂」事件なども

とても常識有る人の言葉や行動ではありません。

それでも私の祖父や父は私よりはるかに立派な人間でした。

けっして人から後ろ指を刺されることなく正道を歩いてきました。

そんな祖父や父を狂人に替えた「戦争」を!その中でおきたドラマを!

我々が今の若者に「語り継ぐ事」が大切なんだと思います。

そんな風に感じさせてくれた映画でした。

エンディングに流れる歌は当社の社長「安江博幸」が愛してやまない

桑田佳祐が歌う「蛍」

これには思わず泣いてしまいました。